香取 慎吾
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香取 慎吾

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来歴・人物
「ジャニーズ入りのきっかけは母親が事務所に履歴書を送ったこと。ちなみに母親はジャニーズかボーイスカウトか中学受験で迷った。
ジャニーズ事務所に入所したのは、偶然にもその後同じグループになる木村拓哉、稲垣吾郎と同じ日であり、後々にもこの「出会った頃の印象」はこの3人の中で良く交わされている。尚、木村から見た当時の印象は「子供」、稲垣から見た印象は「中性的で女の子みたい」。
幼少時から、最年長(リーダー)で同郷の中居正広になつき、よく面倒を見てもらっており、いつも中居の後をくっついていた。1993年頃からのSMAP売り出し時期には、中居とペアで仕事をすることが非常に多く、自らを「バラエティ班」と呼び、アイドルながら数多くのバラエティ番組に出演。同年4月には、中居・香取にとってもSMAPにとってもターニングポイントとなった仕事の1つである笑っていいとも!のレギュラーにジャニーズ事務所のタレントとして初めて抜擢された。レギュラーとなった2人は、その後も何度となく特番でコンビを組み、1998年~2003年まではフジテレビ系列のサタスマ、サタ☆スマ、デリスマ!、スマ夫とレギュラー番組を持った。
また、2人で「ナカチャンカトチャン」というコンビを組んだり、「ナカトリ」と自分たちのことを呼んでたりもしたが、サタ☆スマが始まってからは、中居が「これが俺らのコンビ名だから」と言ったことから、サタ☆スマコンビと呼ばれる事が多い。また身長差からデコボココンビと言われることも。
憎めないキャラクターが売りで、メンバーの中居正広はある雑誌で『慎吾のことを嫌いな人はいないと思う。』と語っていた。
忙しい芸能活動の一方で、創作活動も盛んに行っており、過去にイラスト集を出すなどしている。絵はかなり巧い。ぷっすまにゲスト出演した時は、画廊の人から高値で買値が付く程実力も兼ね備えている。おしゃれイズムでは、心の黒いウサギを書いている。津軽鉄道の車輌をペイントした模様は「SMAP×SMAP特別編 香取慎吾ガンバります!」で放映された。
又、大の映画好きであり、10代後半からプライベートで映画を撮っている(2004年には「ある人」に、スポンサーになるので映画を撮らないかとも言われた)。
料理・グルメに関しては、大好物がマヨネーズというのは非常に有名であり、小さい頃は雑草などにマヨネーズをかけて食べていたという逸話も。話が有名になり、味の素がCM出演を打診し、現在までおよそ10年以上出演し続けている。
一方作る方においては、SMAP×SMAP放送開始当初、料理はキャベツの千切りすら危うかったものの、番組が回数を重ねるごとに技術も向上しSMAP×SMAP内のコーナー、ビストロSMAPでは、デザート職人と称されている。ただ現在も、鮮魚を扱うことは全くの不得手のままである。他のバラエティ番組で腕前を披露したところ、個人指導を受けても扱いきれなかったことがある。このことからビストロコーナーでは、少なくとも香取が担当する食材の下ごしらえに関しては、江上料理学院のサポートが大きな比重を占めていることが判る。また、ビストロSMAPでは出演者が試食の際「おいしい」と言うと、中居正広がそれを叫び、彼がゲストにちなんだ仮装をする等の大げさなリアクションをする点も名物の一つとなっている。
織田裕二の長年の大ファンだった。ずっと憧れていたので初共演の際は感激で打ち震えてたとか。台本が真っ白だったため、織田裕二に「赤ペンを買え」と言われた話はその後ネタにするほど有名。
笑っていいとも!では毎回、衣装が変わる。衣装は、その週に起きる時事や当日から始まる月9ドラマ、SMAPの活動にいいとものコーナー等、最新の話題にちなんだものが殆どである。最初に着た衣装は、1993年に初めていいともレギュラーに抜擢された際に着た金色を基調とした派手なものであった。なお2006年下半期現在、メンバーの中では最年少ながら(同学年にほしのあき、劇団ひとりがいる)最古参である。
2003年は15kgのダイエットに成功し、ダイエット記を綴った本「DIET SHINGO」はベストセラーとなり、この年の年間ベスト6位となった[ちなみに現在はリバウンドしている。生来の食いしん坊のうえ面倒臭がり屋である性格と、多忙なスケジュールが重なった結果(そうではあるが、多忙を極めるスケジュールにあっても体型を維持している人物は数多くいる。「同僚」がその好例であろう)。西遊記のロケでオーストラリアの砂漠に赴いた。過密日程と猛暑の上に、アクションシーンの連続という過酷な撮影環境となった。が、香取のみ2キロの体重増で帰国している。また、同書に記されている「過度」のダイエット方法にもリバウンドの原因があると考えれられる。
2005年からはテレビ朝日のサッカー日本代表応援団長としても活躍。香取がスタジアムへ行けば日本は負けないというマスコミに作られた「不敗神話」がある。神話の実態として、アジア予選はほとんどが日本よりも世界ランクの低い格下が相手であり、勝つことは当然の試合がほとんどであった。また、イランのような強豪国の試合を観戦していなかったことも要因である。サッカーにおいては、負けに等しい引き分け、という試合が制度上多くなる傾向がある。不敗といえば聞こえはいいが、不敗=常勝ではなく、勝ちきれない、消化不良の試合を重ねている証拠でもある。
史上最年少で大河ドラマ「新選組!」の主演に抜擢された。脚本家の三谷幸喜氏の強い要請を受け、何度も説得された後に出演を快諾したという。初回視聴率は26.3%と近年にない好スタートを切る。平均視聴率は17.4%で、歴代41位。ワースト4位となる。最高視聴率と最低視聴率の差も過去最大であった。
2005年8月に放送された24時間テレビでは、メインパーソナリティーに草剛と共に選ばれた。同24時間テレビオリジナルTシャツもプロデュース上最高の売り上げとなった。この年の平均視聴率も歴代1位となった。



身長については諸説があるが、テレビ朝日のニュースステーションにゲスト出演した際、久米宏に対して、「180cmです」と本人が自ら答えている。
2007年1月31日、ついに三十路になり、SMAP全員30代になった。

エピソード
SMAP結成当初、まだマネージャーがついてなかった頃、小学生の香取がSMAPのメンバーからの「明日のスケジュール」の連絡係をしていた(※半分ネタ、半分真実)
幼少のころ、ザリガニを釣って食べたことがある、しかしおなかの紫色の筋をとらなかったため、おなかを壊したと本人がテレビで発言している。また、「アリはなぜ行列を作って歩くのか」を調べ、アリのお尻から甘い汁が出ていることを知り、本当に食べてみたら甘かったということも話している。
家族でグアム旅行した際、帰りの税関で「ピストルが入ってるよ」と何度もいい、香取ファミリーを真っ青にさせる。(5歳の慎吾少年が言ってたのは「水鉄砲」のことだった)。
尚、この旅行話は中居正広が「お前は金持ちで5歳からグアム行って…」と金持ちネタでよく話題にする。
ファーストコンサートのリハ中にバク宙を練習していて着地に失敗し右足を複雑骨折、コンサートに不参加、結局松葉杖姿で1曲(ビートルズの「LET IT BE」の日本語版)だけ泣きながら歌っただけに留まり、彼にとって苦いファーストコンサートとなった。
10代の頃はよく寝坊遅刻をしていた。最大の遅刻は97年笑っていいとも!の50分遅れ。チーフマネージャーは中居に電話をし、彼と一緒じゃないと確認すると、次に木村に電話をし「あんた、慎吾どこに連れてったの!」といきなり木村を怒鳴りつけたらしい。マネージャー女史はとにかく「かつてないほど動転」していたという(遅刻の理由は本人が全く起きなかった+担当マネージャーの寝坊だったとか)。
「ドラゴンボール」(特に孫悟空)、大友克洋とその著作「AKIRA」(特に鉄雄)の大ファンである。
スタジオジブリ作品が大好き。DVD「風の谷のナウシカ」の販促タレントに選ばれたが、その会見で実はジブリ作品では「天空の城ラピュタ」がもっとも好きだと漏らす。2003年スタジオジブリから「日本一のジブリファン」に認定される。木村拓哉がハウルの動く城の声優に選出された時には「正直言って悔しい」と語った。
声優としてのデビュー作は赤ずきんチャチャのリーヤ役。アニメ声優らしい演技ではなかったが、素朴な狼少年という役どころにはぴたりとはまっていた。後に監督インタビュー内で「彼の代役はどの声優にもできない」とまで言わしめている。
2002年春、サッカー好きに目覚めた。しかし現在に到るまで、Jリーグの試合を観戦したことはない。あくまで日本代表のみの関心となっている。代表選手の顔と名前もほとんど一致しない状態であった。W杯以降サッカーの話題をすることはほとんどなくなっていが、自宅内でサッカーボールで戯れることはあるという。
中田英寿のファンになったきっかけは、フランスワールドカップで世の中がヒデ一色だった時に、同い年であることで興味を持ったことから。また、プロ意識の高さなども好きな理由だという。(香取自身にプロ意識があるというわけではない)あまりに好きすぎて、会うことを拒否していたが、2004年プライベートで訪れたミラノで偶然出会う。中田に「一緒に食事しませんか」と誘われたが「緊張しちゃうのであなたと食事するのは絶対無理です」と断るも、ホテルに中田が現れたため、朝までホテルのバーで2人きりで色んな話をした。本人はその思い出を宝物と語る(※後日この話はテレビで語られた)。
海外旅行が大好き。年に1度、生放送の笑っていいとも!を休み、丸1週間休暇をもらい旅行をする。毎年、タモリが本日休みであることを伝えるが、なぜか旅行の為に休むという理由を公表することは無い。また、レギュラー陣もこの話題に触れようとしない。ちなみに笑福亭鶴瓶が旅行で休む際は、タモリはきちんと「夏休みでお休みです」と説明している。尚、10代の頃はハワイ専門だったが、20代半ばからはヨーロッパびいきに。
世界遺産、美術館が大好き。これが彼が年に1度海外旅行をする理由の1つ。2006年に出版された写真集の中に自身で撮ったとされる海外旅行の写真も掲載されたが、その中に、自分自身では撮れない角度から撮られた香取の写真が掲載されていた。また、旅の土産話や同行者の話を全くしようとしないことから、交際女性と旅行に行っていることが判明している。
とても口が大きい。握りこぶしが口に入る(このことで同じ逸話を持つ「新選組!」の近藤勇役に指名されたという噂がある)。また、ハーモニカを口の中に入れて音を出してみたり、CDを入れてみたり、太巻きなどを無理やり口にすべて入れたり、ハンバーガー1個、ナゲット4個を口に詰め込んだりすることもでき、この芸を生かしたSMAP×SMAPのコントも、「オギャリン」等、数々登場した。
マジックが大好き。ドラマ「ドク」の撮影でベトナムに行った際には、現地の子供たちにマジックを披露した。最近はスマスマなどの撮影の合間にも見せているらしい。Mr.マリックにも数度教えてもらっている、お墨付き。しかし彼の現在の憧れはクロースアップマジックの奇才前田知洋(2006年現在未対面)。
めざましテレビは「僕のゴールデンタイム」らしい。
ドラマの台本を、ドライリハ前までに現地で覚える(これには賛否両論あるが、この癖がついた理由は幼い頃から芸能界にいて、コント台本を当日その場で覚えることからついてしまったと言われている)。
極度のめんどくさがり屋で携帯番号などを人に教えない。香取曰く「最初は意味が無かったけど、最近それが楽しくなってきた(2000年発言)」らしい。ちなみにメンバー以外で携帯番号を自ら教えたのは俳優の織田裕二のみというのは有名。
だが「新選組!」で共演した山本耕史には最初に携帯の電話番号を、後に携帯のメールアドレスを「盗まれた」。なお、メールアドレスに関しては「盗めるものなら盗んでみろ」という意識だったらしい。
上記にあるように、何事も面倒がる側面があり、アイドルとして俳優業もこなしているが、他人の作品や舞台を見て研究したりすることはない。黒澤明やチャップリンの作品も未見のままとなっている。しかし映画そのものは好きなようで、北野武作品等はかなり好きらしい。番組で北野本人と対談を行った時にもその事を強調していた。
一度寝たら起きない、また、起きたらなかなか寝ない。かつてはよく父に蹴り起こされていたという。
SMAP×SMAPの総集編内のクイズにて、中居正広がマツケンサンバの一部歌詞を「テロテアリーナ」と間違えた事をからかい、クイズで優勝した香取が、最下位だった中居への罰ゲームとして、自身が監督をするコントで中居を「テロテアリーナ」という架空の化け物に扮装させた。
藤村俊二氏のニックネーム「オヒョイさん」をいたく気に入り、御本人の目の前で「僕もオヒョイさんと呼ばれたいです、2代目オヒョイさんを名乗っていいですか?」と真顔でもちかけた。絶句したものの、快く「い、いいですよ。どうぞどうぞ」承諾を得たことある。
香取とチェ・ジウが対談した際に、チェ・ジウが好きな日本語を聞かれ、香取を見つめながら「愛してる」と即答すると、香取は珍しく照れまくった。そして「ラブストーリーじゃなくて、僕がサル(孫悟空)の役でもいいから共演したい」と猛烈アピールした事がある。
昔HEY!HEY!HEY!にSMAPで出演したときに松本人志にあだ名「ヒバゴン」とつけらてしまった。

慎吾ママ
慎吾ママ(しんごまま)は香取慎吾がテレビ番組で演じたキャラクター。

フジテレビ系列「サタ☆スマ」での女装した香取が慎吾ママとなり、一般公募で選ばれた視聴者の母親と一日交替し、家事や子育てをするというコーナー。コーナー冒頭で、慎吾ママが眠たげな表情でする「おっはー」という挨拶が2000年流行語大賞に選ばれた。因みにこのパロディーキャラとして、元お笑いコンビ・極楽とんぼの加藤浩次が演じた加藤ママがいる。

その後、慎吾ママは、歌手デビューなどをし、歌番組にも多数出演している。番組では、香取慎吾と慎吾ママは別人であると言っている。


「おっはー」
2000年の流行語大賞を受賞した語。元々は、テレビ東京系列の朝の子供番組「おはスタ」でMCの山寺宏一らが行う挨拶の「OHA!」から来ている(当時は「おーはー」「おっはー」の明確な区別はなかったがこの騒動の後「おはスタ」では「おーはー」と明記するようになる)。慎吾ママのロケの最中に子供が「おはスタ」を見ていたため香取はこれを気に入り使うようになった。オリジナルの手の動きまでそのまま使用しながら独自の考案物であるような振舞いが見られたため、「おはスタ」ファンを中心に物議を醸した。香取が「おはスタ」に生放送出演し、山寺から事後承諾の形で使用許可を取り付けることで問題は表向き収束した。その年に出したシングル『慎吾ママのおはロック』は130万枚を売り上げる大ヒットとなった。」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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